上毛かるたの祈り
私たちの祖先が長い年月をかけて同じ言葉と文字を使う同一民族国家をつくり、道義を大切にする国民として努力し、「日出ずる国日本」を宣言、国旗を揚げました。
その日本が世界で初めて原子爆弾被爆国となった第二次世界大戦では、多くの犠牲を払い都市は廃墟と化し巷には被災者・失業者が溢れ、多くの戦災孤児が残されました。
この中で、現在の(財)群馬文化協会の前身である同胞援護会の人達は自らの苦しい生活と闘いながらも戦争犠牲者救援のため、郷土愛と日本民族の誇りを持って、緑の大地に平和のシンボルである白鳩二羽を対峙させた旗の下で活動しました。
そして、「智あるものは智を、力あるものは力を、財あるものは財を」と呼びかけ、その助け合い精神に呼応した多くの方々の協力によって解説文付きの郷土かるた「上毛かるた」が発行されました。
これは、児童福祉法制定に添った努力でもあり、児童福祉法推薦文化財に指定されました。
当時の子供たちは、この小さな箱に詰められた絵札・読み札から未だ見ぬ名所・名跡や人物を知り、憧れをも抱いたように思います。
日本古来のかるた遊びから歴史地理道徳を学ぶ教科書代わりとなり、発行二ヵ月後には第一回「上毛かるた県大会」を開催しました。
この大会より同胞援護会活動の中では冒頭「つる舞う形の群馬県」「力合わせる百六十万」を高らかに呼びかけ心の札としました。
当時百六十万の人口は現在二百万人になり、この札の読み詞のみ変化しました。
古来より群馬県の形状を鶴と表現されていますが、「つる舞う形の群馬県」の読み詞には子供たちへの「貧しいことを恥じることはない。鶴は千年、亀は万年というめでたい鶴の背に乗っている君たちは、ひもじさにも耐え助け合い未来に向かって胸を張って堂々とはばたいてほしい」という深い思いがこめられています。
また、大人たちには当時敗戦後二度目の冬を迎えて捕虜としてシベリアで強制労働に従事させられている六十万人の同胞へ「祖国日本は決して君たちを見捨てない。必ず救出する。シベリアを飛び立つ渡り鳥鶴に思いを託し、一歩でも二歩でも南下し帰る日まで生き抜いてほしい」という誓いと祈りをこめた、留守家族への励ましと救出運動の呼びかけでもありました。
これは現在でも「上毛かるた」の原点として受け継いでいます。
財団法人群馬文化協会は「仁」の文字が持つ「思いやりと助け合い」の心を人類の願いとして、先人の祈りを世界に伝えていけたらと思います。